1989.12-1990.12


特に誰に期待される事もなく1989年12月4日オープン。

もともとコンパニオンがいるスナック?パブ?として営業していた『LOOK』。
スナック?パブ?にしては場所が広い・当時ちょうどバンドブームって事もあり
当時のオーナーの「安く貸すから21時位まで誰かバンドとかで使ってくれないか?」的な、
特にこれといった志も何もなく、知らないって凄いよね的かなりの浅知恵でスタート。

で自分はと言うと実はオープン10日後位から勤め始めたのでオープニングスタッフではありません。
当時のヒロシ少年は7年間勤めた楽器店を辞め、自分で楽器店を始めたくて資金貯める為に働いていて
その頃に、楽器店に出入りしていたお客さんに声をかけられて
「今と同じ給料を保証してくれるなら手伝うよ」位なこれまた軽い気持ちで音響/照明スタッフとしてスタート。
が、自分で楽器店を始めたかったので正直何年も働く気は無かったし、
それ以上にあまりにも酷い状態で、すぐに潰れるんだろうなぁって思っていました。

冒頭でも言った通り基本はスナックだかパブなので21時位になるとコンパニオンとかボーイとかが出勤して来て
バンドやらお客さんやらと渾然とする時間があったりで、とにかく何から何まで無茶苦茶でした苦笑。
急いでバンドもお客さんも、失礼な言い方ですがまさに追い出しつつ
急いでスナック用にフロアにソファをを出しボP達すら急いで退社。
フロア後方や楽屋のソファはその当時とは違いますがその当時の面影って奴デス。
あっ、でも楽屋の鏡の所のボロボロのイスは当時Dカウンターで実際使用していたモノです。

通常はドリンクカウンターの入り口辺りに受付係が1人いて、プラスドリンク担当と
あとは音響&照明(1人で両方をやる系)のボPの3人で回していたと思います。
でも1人が電話に出て、もう1人がしてたりすると
チケットもぎりはライヴ中でも自分がやってみたり...
なんならバイトがバックレて2pで営業した日もありました。(1990/03/26)
とにかく今考えるととにかく凄い状況だった事は間違いありません。

当時のスケジュールを見てもらえば判りますが予定はガラガラ。
ブッキングってどうしたらよいかなんて判らないから店長もかなり苦労していました。
出演するのは当然地元バンドオンリー、内半分くらいが高校生のコピーバンド。
春休み夏休みになると全バンドBOOWYのコピーバンドの日もあったり笑。
で、そんな高校生にも「この店ダサイからもう出たくない」って結構断られていたくらいデス。

でもそれは当たり前で、時はバブル時期って事もあったと思いますが
ライヴハウスのシステムも変わりつつあり、それまでの個人商店的な経営から
資本参入期に入り規模がどんどん大きくなっていった時期でもあり
キャパはどんどん多くなるし音響照明設備もどんどん良くなっていって
「最新設備」を売りにするのが当たり前の流れの中、
資本力皆無な「ザ昭和!」のこの店を若いバンド君達が受け入れるハズもありませんでした。
ってそれ以上にスタッフサイドの圧倒的スキル不足が一番の原因でありますが...。

対バンを集められなくて1bandでやってもらった事も沢山あったし
即席スタッフバンドで前座をやった事もありましたが
その時は店員総出でステージにいるのでドリンクも音響も照明も受付も居なかったかもしれません苦笑。

そんなこんなで音響/照明(1人で両方をやる系)で働きはじめたものの
すぐにブッキングも手伝うハメになるワケです。
多分誘われた理由はこの辺だったんだろうなっていうのは後になって気付きましたが苦笑。
楽器店にいた頃、店内に教室程度のホールがあり毎月イベントを行っていたりもあって
自分で言うのも何ですが地元のバンド君を知っていた方だったと思います。
なのでその頃知り合ったバンドを中心にブッキングを手伝っていました。
自分の記憶的にはもっと後になっての話だと思っていたのですが
スケジュールを見直したら3月にはブッキングを手伝っていて
それ位、ブッキングが緊迫していたんだろうなって事だと思います。

そんなこんなで無理を承知で出演を頼んで、でもみんな気持ち良く快諾してくれて助かりました涙。
っつーか1年も経たないこの時期に、その後のLOOKにとってとても重要な
「Theピーズ」だったり「TOKYO YANKEES」だったり「UNITED」だったり
地元バンドだと「つれづれ草」「マーマレードスカイ」「BELLETS」「Bellzlleb」
「HARD WAVE〜DYNAMITE SHAKERS」と千葉ではかなり勢いのあったバンドにも出てもらってたんだ...。
ただまさかその時に20歳くらいで知り合った楽器店の頃のお客さんと今まで繋がっていくとは思いもしないヒロシ少年デス。

本当にもうすぐ潰れるだろ?と思いつつ、そのうち辞めると思いつつも
やり始めると何故か熱くなってしまうのが若さって奴デス。
そうこうすると「この店好きだよ」とか、わざと憎まれ口を訊きながらも「仕方ないから出てやるよ」とか
バンドを紹介してくれる方とか、アドバイスしてくれる方とか沢山出て来て本当に嬉しかったデス。

とにかくGRASS HOUSE / GIANT MAMA / マーマレードには毎月何度も出演してもらったっていうのと
その頃すでに今のルックさんのカラーがぼんやりとにしても出来始めてたんだなぁって驚きと
完全にピリピリした空気の中「狂人病」「処女狩り」って言う千葉HCの重鎮が出たのも1年目だったんだって驚きと
当時千葉で集客力があったHARD WAVE / AXEL / BAN&ROCKETS / MOLT GRAINが集まって
「えちごや」なるイベントを行っていたのもこの年に始まってたんだ!だったり
このメンツ熱いね!!なBELLETS / つれづれ草 / INJUN'S BANDITもすでにこの頃からなのねだったり(1990/06/15)
とにかくスケジュール見ると想い出が蘇り今に繋がるバンド名や、今は何処?な懐かしいバンド名の数々。

自分の記憶では苦い想い出しかなかったオープンしたての1年目ですが
結構面白いブッキングもあった事に正直驚きでした。
今もう一度あの頃に戻りたいなんてこれっぽっちも思いませんが苦笑
つたないなりにやってたんだな、って少しホッとしました。

って事で気になるスケジュールは下記をクリックして当時のスケジュール表をご覧下さいって事なんですが
多分「1989年12月〜1990年8月のスケジュール表は?」ってツッコミいれたいと思いますが
当時はそんなの作るってとこすら頭回っていなくて、バンド君に「作ったら?」って言われて始めた位デス。
っつ〜かオープン月のスケジュールは残ってないし苦笑。
なので9月よりも前から作ってたかも知れませんが手元に無いので判りません苦笑。
ちなみに1991年2月まではその日の動員を予想しつつその分をコンビニでコピーしつつ
ブッキングが埋まればその都度band名を足しつつって言う斬新スタイルでした苦笑。

そんなこんなで何も判んないって言っても不格好にもほどがあるでしょ?ながら動き始めちゃったのが今回の辺りデス。
さぁ今年の11月中に今年までを振り返れるか不安一杯ですが笑、ヒマな方はお付合いヨロPク!デス。
押忍!!

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