千葉LOOK、誕生から20年を迎えられたということで、これは、すごい。大変なことだと思います。
20年間続けた、サイトウさんをはじめ、スタッフの方々、出演したバンドマン、見に来てくれたお客さんは、その人たちが20年間居続けたということで、皆さん偉大で、これは、めずらしいことで、20年間の継続に感服する思いです。

僕らなどは、まだ、千葉LOOKに出演させていただいてから、一年にも満たない存在ですが、節目のイベントにお呼びいただき、光栄に存じます。

そんな僕らが、大したことを言うのも、おこがましい限りなのですが、サイトウさんが、僕らに言ってくれた様々な言葉は、僕ら瘋癲野朗の空隙に、鋭く飛び込んでくるようなものでした。

「誰もお前に頼んでないんだから。お前がいい顔してればそれでいい。」
まだ僕らがLOOKに出始める以前、何かの打ち上げで、サイトウさんに挨拶をさせていただいた時に、ほぼ初対面でしたが、氏にそう言っていただきました。(ご本人は覚えていらっしゃらないかもしれませんが)

別に誰に頼まれたわけでもないのに、あえてバンドをやるというのはどういうことなのか。
考えてみれば、20年の長きにおいて、続いているバンドよりもなくなっていったバンドの方が、圧倒的に多いはずです。
結局、やってもやらなくても、その人の自由。
けれど、バンドをやるという選択の中に、嘘が含まれていたら、これは、厄介なわけです。
反対に、やらないという選択の中に、嘘が含まれていても、厄介です。


「いい顔」でいられなくなった人間を、千葉LOOKは、何人見てきたのだろうか。
「いい顔」でいるにはどうしたらいいでしょうか。

全然違うかもしれませんが、僕らバンドマンがよく「気持ちが伝わらない」と言う時の、その「気持ち」が、「いい顔」でいるための最初の条件ならば。
けれど、その「気持ち」を、現実世界で成就させるのは簡単なことではないようです。
出来る人と出来ない人に、分かれます。
出来ない人は、失敗した人のように思われます。
音楽なんて、やるんじゃなかったと、呪いのような思いを後の人生までかけ続ける人も、いるかもしれません。
自分の「気持ち」は嘘だったんだと、言い聞かせているかもしれません。
そしたら、彼の音楽を聞いてくれていた人は、聞き損だったのでしょうか。
なんだかどんどん「悪い顔」になっていきます。

「いい顔」でいるのは、とても難しいことのように思います

そうすると、今度は、自分は上手くやって「いい顔」でいて、それだけだったらいいのですが、そうではない「いい顔」のできない人たちに対して、まるで自分が偉くなったようなつもりで、馬鹿にしたり、簡単に傷つけてせせら笑っているのを見ると、思い上がった奴らに腹が立ち、また、切なくなることもあります。
自分が「いい顔」してるからって、そうではない人たちのことを不能者扱いするのは、いかがなものか。
偉ぶるな。ふざけるな。他人の痛みが、わからない。
でも、自分だってそういうことをしているときがあるから、ダメなんじゃないかと思って、結局、口は、小さいまんま。


人間はいい顔をしてれば美しく、美しいものは他人も好きだから、みんなその人を好きになって、人気も出る。
それは本当は、とても素晴らしいことで、いつもいい顔でいれたら、それが一番、理想なんだと思います。
けれどみんがみんなそういうわけにはいかないので、うまくいかない。
悪い顔でもいいじゃないかと言いたいけれど、それは、この世界で、損、ということになっています。

千葉LOOKは、ライブハウスというのは、みんながいい顔をすることができるような、そんな空間をつくろうとしてる場所なんだ、と、勝手に思っております。
本当にそんな空間ができるのは、夢の中の一瞬なのかもしれませんが、それが、理想ですね。
自分のことを大きく見せようとか、凄くならなきゃいけないとか、上手くやろうとか、僕らは色んなことを思ってしまいますが、でも「大きい力」の前にはいつも「小さい力」があって、それがなければ本当は何もできない。
「小さい力」の持つ、人々がありのままでいれるような力を、信じるために、自分で自分が、怪しくならないようにやらなくちゃいけませんね。


僕の話はまずいですが、サイトウさんのあの日の言葉は、大変意義深い、考えさせられる言葉でした。
「本当のこと」を生で聞いた、と思い、千葉LOOKというものが、少しわかった気になり。


千葉LOOK、誕生20周年、おめでとうございます。



瘋癲野朗